第4回:自覚症状
前回のコラムで「プレイヤー自体は利潤を追求するのではなく濃密なミュージックライフを追求するものであろう」という記述がある。
そうであるからこそ、自前のライヴに何万円もの自腹を切って敢行してきたのであるが、この半ば切腹にも似た「自腹を切る」行為にかけるエネルギーは並大抵の事ではないだけに、終了後は燃え尽き灰となってしまう方々が多い。
確かに、切腹し腹から飛び出た金額が多いほど起き上がれないだろう。中には2度と起き上がれない人も居る(笑)。
このことは、即ち「志望校に合格することのみが勉強する理由」になってしまっているのと同じ「ライヴを開催し、人前で演奏することのみ」が目的にいつの間にか摩り替わってしまっている現れではなかろうか、と若干の懸念を持つ。こういうライブ・イベントは「絵に描いた餅」的な、予想に反した結果が出る可能性がある。
多額の自腹による費用対効果の期待度のせいで、ドッカンドッカン盛り上がっている「そうであって欲しい」イメージばかりが膨らむからである。
成功のイメージは重要だが、主催者が必要以上にイメージし過ぎてしまうんである。
こういう場合に避けたいのが「自覚症状の無い自己満足」である。
自覚症状の無い自己満足とは即ち「人前で演奏している=カッコ良く見えている」という勝手な解釈で(笑)、こういうのは演奏している姿を見てもらいたいだけの「学習発表会」であり、特に「私のような」ギタリストに多い(笑)。
何故かって?そりゃ、ギタリストは自分の音が音響的にもお客様的にもバランスが取れてるとかは関係なく、自分の好きな音に酔い痴れるからに決まってるじゃないですかぁ(笑)。
しかし、この自覚症状の無い状況は、「如何にお客様を盛り上げるか・聴き入ってもらうか」とかいう演奏側の「ステージ上において努力すべき部分」を殆ど「お客様」に任せている状況である。
多大なコストがかかるライヴをそう簡単には何度も出来ないのは分かるが、自己満足を見せられるのに耐えられる金額として、都城ローカルのお客様には1回千円は余りに高いのだ。
次回は「有り得ない仮説」。
by.ミスターTAMIYA
2007/02/20 Tue
