第10回:プロを目指して
今回は私の同級生がチャレンジし続けている「プロになる」事について、私自身が受けた印象を「暴論中の暴論」とお断りした上でお伝えしたいと思う。
現在、都会ではプロを目指して頑張っている方は大勢いる。
今からプロを目指して上京しようとする人、上京を目指して努力している人、プロになる事を希望している人、プロに憧れを持つ人、その「プロになる」という事に対する思いや行動のレベルは様々である。
私の同級生はドラマーとしての3度目のチャレンジだ。
東京、大阪、東京。10年以上チャレンジし続け、気が付けば年齢は30代も半ばである。
しかし、諦めないその姿勢が素晴らしい。
そして確実にドラマーとしての力量が上がっている事だろう。
最後にバンドで演ったのは平成17年10月のライヴ以来で、暫くは一緒に演ってない。
実は皆さんの周りにもプロを目指して頑張ってきた方々が多数存在している。
Puff Projectで言うならば「情熱のピアニカ」こと坂元理事長、360 BackflippersのKazもそうである。
こういう、実際に都会で修行をし酸いも甘いも体で受け止めてきた人種の言葉は意味深い。例えば、
「プロに必要な要素を持っているヤツは、売り込まなくても声が掛かる」、
「プロになれるヤツは、ワンチャンスでプロになる」。
日頃のそういう「巡って来たチャンスを逃さないための自己鍛錬」がそれを可能にする、と言っている訳だ。
プロになれるヤツは、それに値するだけの能力と努力をその時点で既に積み上げている、ということでもある。
それとは真逆に、「自己鍛錬や才能とは関係ないところでもプロになれる」という皮肉も、そこには差し込まれている。
この内容を書いている時期に前後して、何たらエ○カというタレント(いや、誰が何と言おうと日本語で言うタレント)が総スカンを喰らい「反省として女優業等を1年間自粛する」という、私にとっては何も感じない話題が巻き起こっていた。
何でも「製作発表の場で腕組み&発言は3語」という態度で世間からは「何様だ」という評価であったらしい(それまで持ち上げておきながら)。
如何にいい内容を曲や演技にメッキしたところで、所詮本質はその程度だった事が露呈した。
この事は「自己鍛錬や才能とは関係ないところでもプロになれる」という皮肉が悲しくも当てはまった「好例」である。
薄いメッキは金でも剥がれ易いものであるが、最近の日本のプロ事情もここ10年殆ど変化していない。
羅部際毛出利己が出て来た時なんか、本気でシェリル・クロウのニューシングルだと思った。
「まった軽いの演りだしたな」とガッカリしてたら、本家シェリルのニューアルバムも「まった軽く」なっており(笑)、何だかいよいよ日本型の業界形態の輸出による効果が花開いてしまった感が否めなかった。
要は何の流行でも5〜6年遅れて日本に渡って来て、すぐ飽きられる状態が「当たり前」になってるんだな、と笑いすら出なくなっている。
そういう意味において、ここ10年プロデビューしてからの賞味期限が極端に短い。
そして、歌でデビューしてすぐ役者に転身・兼業するヤツの多いこと。
何しにCD出したのか、意味不明である。
そういう「カワイイ女の子にレコード会社がプロデューサーやアレンジャーを連れて来て、イケメン系(死語候補)のギタリストやバンドをくっ付けて、賞味期限2年の売れ線バンド、ハイ出来上がり!」みたいな間違った人種が瞬間的な勝ち組として量産されている以上、まともな音楽で喰っていこうと真剣に頑張っている人種が悪戯に時間だけを浪費しバンドシーンから淘汰されていく現実に、未来など無い。
これは経済不況の時ほど顕著になり、景気が上向くと慢性化してしまうという、如何ともし難い現象である。
そういう、売れる曲やスタイルだけを求めている業界と、真摯な信念のせいで「売れる契約」を履行できなかったバンドや女の子がシーンから抹殺され、音楽を捨ててしまい、気が付けば年金も払ってなかった人種が増えていく昨今、プロというものの価値が随分低下した、寧ろ「十束一絡げにバカにされかねない」懸念を抱いているのは私だけではないはずだ。
そういう状況に迷惑しているプロやファンも多いはずである。
意外と、この辺の現実を予想・想像するプロ志望者は少ない。
認識という点においてのみ、ニートと呼ばれる人種はまだいい。
社会や自己に対しても同じ失望を抱いている分、そういう現実だけはある程度見えている。根っこは意外と通じているのかも知れない。
そういった、唾棄すべき状況に辟易した人種が、都城盆地に帰って来て仲間と楽しく音楽を続けているのである。
宗一郎、コレを読んだら早く帰って来い。
by.ミスターTAMIYA
2007/10/06 Sat
