第12回:自虐時々ドン引き、のち晴れ(後編)
中編においては、お客様が「いいステージを期待している」という大前提で進めてきた。
しかし、お客様が「コンビニ的」なライヴを期待しているのなら話は違ってくる。
「コンビニ的」とは、聴く側に「感動は特に必要ない」という意識がある事を指す。
通常はコンビニで買物をしても感動は無い。
寧ろ、一言も喋らずに買物を済ます事の方が圧倒的に多い。
何か喋るとしたら弁当を温める際の「あ、はい」又は「あ、いえ」ぐらいだろう。場合によっては特別におでんの品名を指定するか「からあげくんチー○」を指定する時ぐらいである。
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例えば、店内をウロついているコンビニ店員の一人が背後からにじり寄って来て「イラッシャイマセ〜、何かお探しですかぁ?」ときたら、どうだろう。
「イラッシャイマセ〜、何かお探しですかぁ?」
「あ、いえ、ちょっと口臭が気になるのでガムを・・・」
「あ、それでしたらロッチのキツリトーノレ系なんかどうですかね!」
「はぁ・・・(って、実は万札崩したくてただ寄っただけなんですけど)」
「最近密かに人気が出てるのが、手軽なフィルム系とかカプセル系ですね!」
「はぁ・・・(アンタ誰よ?でも断りづらいし、何か勧めてくれてるし)」
「他店の商品と比較致しましても、一応最新の製造年月日の商品ばかりを揃えておりまして!」
「はぁ・・・(へぇ、そりゃモノは新しいってことか、品質関係は安心だな)」
「併せまして当店自慢のポテトは如何でしょうか!」
「はぁ・・・(売れ残りっぽくはあるけどポテトも悪くねぇし、っていうか腹減ったし)」
「では商品の方、ポテトのLということで・・・」
「いやガムですけど」
みたいな戦略で営業展開している店舗にお邪魔してみたいものである。
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ここで重要なのは、市民にとってコンビニはあの「無言の気楽さ」と「お互いの詮索の無さ」こそコンビーニェンスなのであり、コンビニには誰も感動や絆という「関係性」を求めていないのである。求められている感覚はむしろ「食べ物も売ってる自販機」に近い。
消費者の状況的には、家電量販店も同じ感覚を持たれつつある。この例えば「この店員さんなら安心して買える」という関係性に基づく購買感覚が○○○電器等の台頭により格段に低下している。最早信頼という関係性に基づく購買行為ではなく最安値に基づく購買行為にシフトしていることは暗黙の常識であり、それが無ければ楽天等のネット販売が栄華を誇る時代は来ないはずである。
購買対象となる商品が、買う場所が違っても品質が変化しない「食べられないもの」である限り、コストの掛かる店舗営業が今後も苦戦する状況は変わらないだろう。
何が言いたいかというと、人々の価値基準として「家電品は最安値で選ぶ」=「曲はウケてるかで選ぶ」になりつつある、いや、既になっているのかも知れない、ひょっとして音楽を聴く側が「何となくイイ」「聴きやすい」という安直な理由で曲やアーティストを選んでいないか、という事である。
これについては、業界の戦略がウマいから仕方が無い部分もあるだろう。TVFM有線店舗と同じ曲が強力なプロモーションによりヘヴィローテーションで耳に入ってくると、覚える=聴いててイイ曲になってしまうのも事実だ。コレと同じく、繰り返し聴き込めば「心に残るものとそうでないもの」の区別がつくのも事実だが、そこだけはスッポリ抜け落ちている。チラシやネット、店舗巡りで最安値を調べる手間は惜しまずに。
実際、以前にも述べた「如何にいい内容を曲や演技にメッキしたところで、演る人間の本質は所詮その程度」という部類のタレント(決してアーティストではない)が量産され、売り手からの扇動にまんまと乗せられた形でTVドラマやダウンロード等のメディアを貪(むさぼ)る。
最初は誰もがそういう形でアーティストを知るが、吟味していくうちにアーティストなのかどうか見分けが付く。その曲に対する自分なりの思い入れが説明でき、尚且つ心に引っ掻き傷を残し、何時でもその時の感情が甦って来るほどの曲ならばどんなミーハーな曲でも関係ない。それは素晴らしいことだと思う。が同時に、そこまでの聴き込みが出来るということは他の曲・アーティストに対しても「心に残るものとそうでないもの」の区別がつく、ということである。しかし乗せられっぱなしで気持ち良くなってるお目出度い人種は後を絶たず、音楽を始めても本質は所詮その程度である。
このように感動や感情も特に求めず「別にただ来ただけ」というお客様なら、言葉は悪いが「やりっぱなしの垂れ流し」でも質を求められていない以上、やる側も「この程度でいいか」という気持ちにもなろうモンだが、それが通るとは言ってない。
「エッ、このバンド俺の好きなこの曲をッ!」というお客様に「無料でしかもツボを押さえた演奏」ときたら・・・という事を万が一の事態として想定し練習している我々にとっては、前以て音源をお渡しするので聴き込んでおいて頂きたい、という事でもある。そして、結果的に自分達の首を絞めていくことにもなる(笑)。
やはり、こういった理屈っぽく批判だらけで回りくどい捉え方は「ウゼぇんだよ」と大部分の人々から唾棄されるんだろうが、一向に構わない。これは基本的に「楽器を演奏している又は始めようとしている方に対するダメ出し」なのであり、愛情の伴う「問題提起」である。一般のリスナーから「人それぞれ音楽の楽しみ方は違うんだよ」と言われたとしても、楽しまされているよりはマシである。
最後に、いよいよこのシリーズを切り上げるにあたり、読者の方々にお願いをしたい。それは
「すべて忘れて欲しい」
ということである。
どうせ覚えてくれてはいないのだろうが(笑)、「学校で学んだことをすべて忘れた時になお残っているもの、それが教育(の産物)だ」とアインシュタインが述べているように、このシリーズを忘れた時にふと思い出すもの、それが我々の一番言いたい部分なのかも知れない。それがこのフレーズであることを祈っている。
「牛乳は飲むより配達した方が健康にいいぞ」、即ち
「聴いてるだけより、演奏できる方が楽しい」、と。
乱筆拙文にて大変失礼
by.ミスターTAMIYA
2008/1/5 Sat
